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浮かんだイメージを一刻も早く外へ向かって表現したくて、そのためには宅録の<一択>だった。
―アルバム、全体的な印象としては当時のやりたいことを全部つめ込んだんだろうな、って感じですもん。ただ、作り手のバックグラウンドはいまいち見えにくいというか。サウンドは明らかに宅録なんですけど。
うーん、宅録という手法はあくまでも選択肢のひとつだったんだよね。当時は曲ごとにやりたい音楽性が違ってたから、(バックグラウンドが)見えにくいのはあるかもね。とにかく、浮かんだイメージを一刻も早く外へ向かって表現したくて、そのためには宅録の<一択>だった。いまも含めてだけど、ぼくは機材マニアとかではないし、いまのところ、宅録を極めたいと思ったこともいちどもない。
最初はバンドをやってみたかったから大学ではバンド・サークルに入ってみたし、でもメンバーが旨く揃わなくて困ったというタイミングでサンプラーとかシンセを知って宅録という手法にすがりついた、みたいな。
―あと、ぼくがこのアルバムを聴いてもうひとつ思ったのは、これが2020年のいまリリースされたらどんな反応があるんだろう? ってことです。
DAWやDTMの環境が整備されたいまって、<ひとり>で作る音楽がよりフックアップされやすくなっていると思うんですよね。前より市民権を得たというか。サウンドの中にもちろん当時の2000年前後の空気を感じる部分もあるんですけど、同時に普遍性も感じるというか…。
普遍性を感じてもらえるのは素直に嬉しいんだけど、いまの宅録とはちょっと違うような気がして……どうなんだろうね(笑)
コンピューターの技術が上がったいっぽうで機材コストは下がって、クオリティの高いサウンドで気軽に宅録できるようにはなって、手法は市民権を得ただろうけど。『くらしのたより』の芯にある精神がいまどんなふうに伝わるかはまた別の話なのかなあ。
本当に憧れてたのは当時のリアルタイムの音楽だとピチカート・ファイヴみたいな、腕のイイ演奏家に支えられて編曲家がイニシアチブをとるような感じだったからなあ。<レコード(録音)>として残る結果が全てだと当時から思ってて、それはいまでも変わらないかな。
―実際、リリース後の反応はどうでした?
リリースからの2年くらいで1000枚ほど売れたみたいなんだけど、反応はいまいち分かんなかったんだよね。水戸にいて知らない人から「聴きました」って声掛けられることもなかったし(笑)。
ただ、まったく縁のなかった大阪のカレッジ・チャート(CRJ-West)*9 で収録曲の「低唱・高唱」が最高2位まで上がった、ってスタッフから教えてもらって驚いたのは憶えてる。
あと、このアルバムをリリースした翌年に、大阪のFM局のライヴ・イヴェント(ミナミ・ホイール 2002)に出たんだけど、お客さんがめちゃくちゃ盛り上がってた。久保田さんがコーディネートしてくれて、<カーニバル・バルーン>っていう、ドラムに北山ゆう子さんがいたバンドがバッキングをやってくれたんだけど。
その時以外のライヴは、いつも、お客さんは困惑しながらステージを観てた印象が残ってる。ほら、ライヴの時、オレ割と動くじゃない?(笑) 録音とライヴは全くの別物だと思ってたし、<宅録イコール大人しい>みたいな先入観を持ってる人にはホントごめんなさい、って感じだった。まあ正直、裏切っていく感じが痛快だったけどね(笑)
―確かに、前園さんのライヴでの動きと宅録のイメージは結びつかないかもしれません(笑)。あとは、土地柄というか、地域によってお客さんの楽しみ方も微妙に違いますもんね。
他に当時のことで覚えてることってあります?
コーネリアスの『POINT』はデカかったね。このアルバムと発売日がほぼいっしょなのよ。
―調べてみたら2001年の10月24日ですね。
『POINT』が1日早い(笑)。
『くらしのたより』のレコーディングが終わって、発売日までまもなく、というタイミングで『POINT』からの先行シングル(「POINT OF VIEW POINT」)がリリースされたんだけど、サウンドがもう前のアルバム(『FANTASMA』)と全然違ったのよ。新作は引き算の音楽で、前作は足し算の音楽、その両極端みたいな。
ホントおこがましいんだけど……当時、勝手にリスペクトしてて、それを越えてライバル視すらしててさ!(爆笑) こっちも自作のリリース前というタイミングだし、向こうのことが気になってしょうがない(笑)
コーネリアスは、やっぱりぼくらの周りでいちばん話題に挙がるアーティストのひとりだったし、なんと言っても「彼と同じフィールドに立ってやっていくんだ」と勝手に思ってたから(笑)。もちろん同じだなんて言ってられるレヴェルには全然来れてなかったし、いまも全然なんだけど、若い時のそういう思い込みって割と大事だよね。ってことにしといてね(笑)
『POINT』と『くらしのたより』がリリースされてからは、例の水戸の小さいサークルの仲間内で聴き比べとかやったよね。酒呑んで、「(コーネリアスより)オレらの方がヤバいじゃん」とか言って。うわー!
―(笑)
でも2週間くらい経った頃にはみんな黙っちゃって。「ヤバいよね~。『POINT』ヤバいよね~」って(笑)。完全に21世紀のサウンド、圧倒的に新しいポップスだったんだよね。
『くらしのたより』は、20世紀の音楽を参照して作られた90年代最後の新人の音楽だった、とか、いまにして思うよね。リリースは21世紀、2000年代になってしまってたけど。
―<参照>ということで言えば、確かに、色んな要素を採り入れたコラージュ感はありますもんね。
ぼくの部屋とか佐藤さんの部屋で、みんなで呑んでダベってる時に不意に誰かが言ったアイデアとかも、バンドじゃなくて宅録だったからこそ気軽に採用できたというか。「この要素とあの要素を合わせたような音楽って良くない?」とか、みんな思いつきで言うんだけど、ひとりになった時にふと思い出して実際試してみたり。意外と、他愛のない会話とかがヒントになったりするんだよね。
あ、話ズレるけどスチャダラ(パー)はみんなで大富豪とかしながらよく聴いてたなあ。新作落語を聴くみたいに(笑)
『くらしのたより』では、トランプやって馬鹿ばっか言ってたそんな無駄な時間の蓄積とかも、自分なりの形で出せて良かったかな。業界のヒトの入れ知恵で不本意な制作方針とか押し付けられてたら、当時のことは黒歴史として封印してたかもしれない(笑)
―音楽も色々細分化されて、SNSも発達して、いまって個性とかオリジナリティがちゃんと面白がられると思うんですよね。そういった意味だとこのアルバムがもしいまリリースされたらまた別のリアクションがあったかもしれないですね。
いまだったらこういうものも<宅録>とか<ひとり>とかレッテルを貼られずに普通に出せるのかもね。そうだったらいまの方が幸せなのかも。ただし、いまは録音手法とか音楽的スタイルはあまり売りにならなくなって、音そのものか、逆に音以外……生活スタイルをSNS上で晒したりしてそれが拡散された数とかでリスナーをつかむ、みたいな感じになってるよね。
当時、ぼくみたいなヤツは<宅録アーティスト>とか、そういう形容が必ずと言っていいほど付いて回って。さっきも言ったように宅録自体は単なる手段で目的じゃなかったから、そういう括られ方は正直ピンと来なかった。
2001年にリリースされた『くらしのたより』がいまどう聴こえるのかってことには興味があるんだけど、2020年に『くらしのたより』が出たらなんて考えたことないなあ……もしいまなら……リリースは Soundcloud とか Bandcamp でハナから世界同時配信するだろうね。あ、いまだったら、最初から英語の訳詞を付けてリリースしたいのはあるね。