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あろうことか鳥羽一郎さんと親父がいっしょにステージで歌ってさ(笑)。親父も含めて無性にカッコイイって憧れちゃった。

2000年。撮影:石田亮介

―そもそも前園さんは、どうして日本語詞を選んだんでしょう? 前園さんの音楽的バックグラウンドや90年代末っていう時代を考えると、英語詞でやってもなんら不思議はないですよね。

昔から身近に日本の歌謡曲があったからかな。茶の間のテレビで親父がよく演歌・歌謡曲の番組を観てて、そこで流れている歌に物心つく前から触れてたんだよね。小、中、高と学年が上がっていっても「古くさいなあ」とか感じることなく、ステージの真ん中に歌手ひとり、バックバンドを従えて、そこに舞踊が入ってきて、みたいな華やかな感じとか含めていいな、と思ってて。
あと、親父は自分で歌うのも好きで、地元のカラオケ同好会に所属してたんだけど(笑)、ある時、地元の大きいカラオケ大会に鳥羽一郎さんがゲストで来たのね。で、普段ブラウン管越しに観てた人が目の前で歌ったんだけど、圧倒的な表現力と存在感で。さらに地元の同好会のメンバーと交流みたいなミニ・コーナーで、あろうことか鳥羽一郎さんと親父がいっしょにステージで歌ってさ(笑)。親父も含めて無性にカッコイイって憧れちゃったのを覚えてる。

―それがある意味原体験だったんですね。

人前で歌うことへの憧れはこの時が初めてだったのかな。
日本語の響きって良いよね、云々、というのは後々に思い知るんだけど、それ以前に生活のBGMみたいに、ごく自然に歌謡曲に親しんでたんだよね。
だから、後々ブームになった<和モノ>みたいな聴き方は、ぼくの中では必ずしも重要でななくて。和モノ・ムーヴメントも結局レアグルーヴ的な意味合いだったりするわけで、リズム隊を中心にした編曲の面白さだけですくいとるより、歌い手が放つ言葉の力と、それを書いてる作詞家の魅力も含めての和モノ、っていうなら判るんだけどね。
あと、レコードの買い方もね、レアグルーヴ的とかDJで使えるとか、ぼくはそういう基準だけではレコードを買ってなくて、例えばジャケ裏に記載されてる歌詞とか作家名とか譜面を見て、知らなくても試聴もせずに買うの。で、買って、家で針を落とすまでの間に想像で聴いてる音楽がまた大事だったりね。

―想像で聴いてる! ってすごく豊かな娯楽って感じがします。
ところでもう少し、なぜ日本語詞を選んだのかってことについて聞きたいんですけど、90年代の日本のインディーズレーベル/アーティストのコンピとか聴いてると、みんなほとんど英語詞じゃないですか。

そうだね……とはいえ、ぼくも英語詞を書いてたことはあって。98年に<ORANGE BIKE>名義で作った最初のカセットにだけは英語の歌も入ってる。
ニール&イライザからの影響だったり、かつてのフリッパーズ・ギターのファースト(『THREE CHEERS FOR OUR SIDE / 海へ行くつもりじゃなかった』)とかのスタイルを後追いで真似してみたりね。高校生の時に鹿児島のタワーレコードで買った Rocketship のファースト(・アルバム)だったり、ROCK BOTTOM とかZESTで買い漁ってた欧米のインディー/ギターポップの新譜からの影響ももちろんあって。
でも作ってる途中で日本語詞を書くようになって「みんなは英語で全部歌うのね」ってことには気づいて。みんな、というのは同時期の日本のインディー勢のことなんだけど。

それがサニーデイ・サービスの『若者たち』『東京』が出た辺りから、世代の近いインディー系のバンドにも日本語詞を歌う人たちが一気に増えていった、という。