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01 冗談伯爵 / Count Joke
作詞 / 作曲:前園直樹
編曲:前園直樹
ヴォーカル / 演奏:前園直樹
プロデュース:前園直樹
共同プロデュース:佐藤勝紀
プログラミング:佐藤勝紀
録音:2001年6月
基本は二つのコードの繰り返し。シンプルなリフレインを主体にして軽快に進んでいく三連シャッフルの曲をアルバムに入れたい、と思いながら制作。
レコーディングに取り掛かったのは制作の終盤でしたが、その頃にもなると、頭の中でイメージしていたアルバムの全貌がじっさいの音としてつまびらかになってきているもの。
いわゆる<峠>は越えていたので、残った曲のそれぞれが、アルバム内でどういう役目を果たすべきかの判断はし易く、編曲の方向性やBPMの選定に迷うことはなかったと記憶しています。
佐藤勝紀さんにこの曲を聴いてもらい、完成形のイメージを共有したのだったと思います(佐藤さんについてはインタヴューで触れていますのでそちらをご覧ください)。
自然のしくみが すべて解ったような
冗談伯爵
ジョークを吐いてる巨きなくちばし
街(空間)。時間。人間関係。
毎日、レコード。毎日、パーティー。
<毎日>というのは比喩の拡大ですが、なんとなく続いている、いま(当時)のくらしの印象を、このラインに込めてみました。
02 Lime Light
作詞 / 作曲:前園直樹
編曲:前園直樹
ヴォーカル / 演奏:前園直樹
ゲスト・ヴォーカル:吉田まさこ
プロデュース:前園直樹
録音:2000年7月(*初出=自主制作盤『ORANGE BIKEの世界』)
2000年に制作した『ORANGE BIKEの世界』ではアルバムの冒頭に配していた曲。『くらしのたより』に再収録するにあたって、ミックスをしなおしました。
曲名は当時聴いて衝撃的だったFIFTY FOOT HOSEのアルバム『Cauldron』(1968年)をリリースしていたレーベル<LIMELIGHT>から拝借。
この頃は、とにかく1960年代末のサイケデリック・ムーブメントに興味が傾いていました。
デイヴィッド・ポメランツ DAVID POMERANZ というアメリカのシンガー・ソングライターのファースト・アルバム『New Blues』(1971年)を購入したのは、(渋谷)ファイヤー通り時代のハイ・ファイ・レコード・ストアに於いてでした。
ジャズとフォークの理想的な融合。本作の放つサウンド自体はサイケデリックとは無縁ですが、「Lime Light」の導入部分は、B面4曲目に収録された「Can’t Get Over You」という曲から、大いに影響を受けています。
ちなみに、「Lime Light」「Soft Musique」における、スネア・ドラムをブラシで擦る(ような)音は、コルグの<MONO / POLY(モノ・ポリー)>でホワイト・ノイズを作成して使用しました。
MONO / POLYは1981年に株式会社コルグが発売したアナログ・シンセサイザー。その細かな特徴については割愛しますが、『くらしのたより』の制作全般にわたり、コードを鳴らすことはもちろん、ベースラインを弾く、打楽器の音や様々なSE(効果音)を創りだす、など大活躍。当時のぼくにとって不可欠な存在でした。
ところで。大学に入学してすぐの頃でしたが、インタヴューにも登場した友人の石田亮介からミレニウムの『ビギン』というアルバムを教えてもらい、寝食を忘れるほどにハマって聴くようになりました。
神々しいコーラスワーク。様々な工夫が凝らされた編曲と録音。この曲などを聴くと、大学構内の広場の、芝生の色やにおいを思い出します。授業をサボって、友人たちとの情報交換に明け暮れたものです。
『ビギン』に収録された曲から具体的に着想を得た、という訳ではありませんが、精神的支柱であったことに変わりはなく、「Lime Light」は同作を聴き込んで虜になっていた<ソフトフォーカスのサイケデリック>を、じぶんなりに研究した成果報告のような一曲となりました。
その他、エレキ・ギターのコード・カッティングには、ビートルズの「Getting Better」からの影響が見てとれます。
『ORANGE BIKEの世界』を制作していた2000年によく聴いていた音楽。少し挙げておきましょう。
ソフト・マシーン脱退後のケヴィン・エアーズ、ソロ。石田がどこからか見つけてきた海賊版のVHSで色々と映像も観て漁った、Youtubeなき時代。
ブラジルのバンド<ムタンチス>のアルバムが日本で初めてCD化されたのが1997年(大学1年)。ROCK BOTTOMで聴かせてもらってこりゃ大変だ、となっているうちに2000年にはブラジル音楽のディスク・ガイド本『ムジカ・ロコムンド』が刊行(2002年には『2』も)。日本と英語圏の国の音楽を追うだけで精一杯なところにとんでもない火の手が上がってアルバイトに行く回数急増、という。誰からも強制されていないことで勝手に忙しくしている日々でした。